――――――――――以下、引用――――――――――
三笠フーズから接待を受けたとされる農水省大阪事務所の元課長(62)は15日、大阪府内の自宅で取材に応じ、「焼き鳥屋を始めたので評価してくれと頼まれ、ひと口だけ食べた。接待を受けた意識はないが、軽率だった」と話した。
(以下略)
――――――――――以上、引用――――――――――
・・・自分の父親も国家公務員だったのですが、
お歳暮やお中元の季節になると決まって贈られてくる
(家庭として)お付き合いの無い企業からの贈り物
というものが結構ありまして
それらは、全て手間隙掛けて送り返してたもんです
公務員として、あるべき姿がそこにある、と。
その姿を見て、「親父は清廉潔白な人なんだ」と誇りに思ったものです
昔の中国の有名な故事に
「天知る、地知る、子知る、我知る(四知−シチ)」
というものがありますが。
以下、ちょっと長くなりますが引用しますね。
――――――――――以下、引用――――――――――
後漢時代には、宦官がはびこり、官僚も腐敗した時代であったが、高
潔な官僚もないわけではなかった。第六代の安帝のころの楊震も、その
一人である。
楊震は、関西(函谷関以西の地。陝西・甘粛二省の地)の出身で、非常
に博学であり、また、清廉潔白な人物であったので、当時の人たちから
「関西の孔子」と称揚された。その楊震が東莱郡(山東省掖県)の太守に任
命されたときのことである。赴任の途中、昌邑で宿についた。すると、
その夜おそくなってから、昌邑県(山東省金郷県)の県令(県の長官)の王
密が、ひそかに訪ねてきた。
「太守さま、お懐かしゅうございます。
荊州(湖北省襄陽県)で、
お引き立てをいただいておりました王密でございます。」
「おお、しばらくだったな。」
楊震は王密をおぼえていた。かつて荊州の刺史(監察官)をつとめてい
たころ、その学識をみこんで、茂才(官吏登用試験に合格した人。一般
に秀才というが、後漢では、始祖の光武帝の氏名が劉秀であったので、
はばかって茂才といった)に挙げてやった男である。二人は、いろいろ
と昔話に興じたが、そのうちに、王密がふところから金十斤(現在のい
くらに相当するかは不明。かなり大金らしい)をとりだした。楊震にお
くろうというのである。しかし、楊震は、おだやかに、だが、断乎とし
てはねつけた。
「わしは、
昔なじみの君の、
学識も人物もハッキリとおぼえている。
それなのに君は、
わしがどういう人間であるかを、
忘れてしまったのか?」
「いいえ、太守さま。
太守さまがどんなに高潔な方であるかは、
肝に銘じております。
ですが、これは、
べつに賄賂といったものではありません。
ただ、むかし御恩にあずかりました、
ほんのお礼です。」
「君は、わしの見込みどおり、
立派に成長して県令になった。
まだまだ栄進して世のために尽くすことだろう。
わしに対する恩がえしは、
それですんでいるではないか。」
「いえ、太守さま。
そんなに堅ぐるしくお考えになりませんように、
それに、こんな夜中ですし、
また、この部屋には、
太守さまと私と二人しかおらず、
誰も知らないのですから。」
依然として、楊震はおだやかに王密をみつめていた。一瞬、その眼が
チカと光ったが、静かに諭したのである。
「誰も知らないということはないだろう。
まず、天が知っている。
地が知っている。
それに、君も知っている。
わしだって知っているではないか?」
(天知る、地知る、子知る、我知る。)
さすがに、王密は愧じいって引きさがったのであるが、その後、楊震
の高潔さはますます磨かれて、やがて太尉(兵事をつかさどる最高官)に
のぼったのである。
――――――――――以上、引用――――――――――
平たく言ってしまえば、
「
ということだと思いますが。
もっと平たく言うと。
「お天道様は見てらぁ
ですね
本当に分かり易い…
公務員たるもの、『公』の為に働いている訳だから、
一般社会人に比べて、より一層、『四知』に敏感であって欲しいと思う訳です
自らを律する…戒める、ということに。
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